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私たちの母校、大阪府立勝山高等学校がなくなるそうです。

もっとも校舎そのものは存続させ、かつての勝山高校(現、桃谷高校)と合併(?)するそうですね…。少子化その他の原因で統廃合されるのは昨今当たり前になりましたねぇ~。

確かに数年前に母校を訪れたとき、私どもが通学していたころとはずいぶん様変わりしているようにも感じました。また、なにより活気を感じませんでした。

私どもの在籍時は一学年10~12クラスもあったのですが、最近では一学年5~6クラスになっていたように思います。勝山は一学年8クラス規模(約300人)なんですよね。

テニスコートも使われている様子はありませんでしたし、クラブ活動もそれほど盛んな印象は受けませんでした。逆に、なぜか私どもの在籍時にはなかった「相撲部」の稽古場(土俵)があったのには驚かされました(笑)

食堂には電子レンジが置いてあるだけでした。


新しいシステムで、新しい人たちがまた楽しく充実した高校生活を送ってくださることを願ってやみません。

※なぜかブログに入れない時期が続いていたので記事をアップできませんでした。お許しあれ!

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ちょっと「まとめブログ」的なタイトルにしてみました(笑)

33期の女性OBからご同期の女性は全員都合がつかなくて、6月6日のOB会には出席できない旨、ご連絡を頂戴しました!
わざわざのご連絡ありがとうございます。

なんでもご同期の男性OBであるSさんが女性陣にも今回のOB会の開催をお知らせくださっていたとか…。
33期のSさん、ありがとうございます!!
お陰で出欠のご意向を知ることができました。m(__)m

あ~、でも、33期の女性陣が全員欠席となると、前回の記事にも書きましたが、前後のOBも参加しにくいですね~~。
もちろんそれでも良ければ是非ご参加ください!!

6月6日は、こりゃぁ~2011年11月の「歌声会」みたいになりそうですね(笑)

次回のOB会は2045年くらいにやることにしましょう(笑)



我々21期生・JUNKMENが、『歌え! MBSヤングタウン』に出たことは、以前、このブログにも書かせていただきました。

昭和43年5月16日の事ですから、今からもう46年も前の話になります。

その日我々は、ギターだけではなく、でかいベースも担ぎ、千里の毎日放送に向かい、番組に出演しました。
歌ったのは2曲、『いじめっこの歌』と、オリジナルの『幼子(おさなご)』でした。
当然と言えば、当然ですが、昔の事です。音源など残っているはずもなく、演奏した我々「ジャンクメン」も聞いたことがありません。

時は流れて、2014年10月13日。
一通のメールが僕のもとに届きました。
送り主は、21期の同窓生T君です。今年の5月に行われた、21期生関東同窓会で、45年ぶりに再会した友です。
そのメールの内容は・・・

「探し物が見つかりました。ラジオのスピーカーにマイクを置いて録音したもので それを今度はカセットテープに録音しなおしたものです(中略)まずは聞いてみてください」

で、添付されていた音を聞くと・・・、
なんと、そこには、46年前の番組の同録が入っていたのです。
桂三枝さん(現・文枝)とのやり取りと、2曲がそのまま。

5月の同窓会時、誰かから「そういえば、山縣、フォークで番組出とったなあ」みたいな話になった時、突然T君が、「あの日の夜、ラジオのスピーカーの真ん前にマイク持って行って、オープンリールで番組録音したで、俺」と言い出しました。「ええっ!」と、僕は驚くばかりでした。

あれから、5か月、T君はこのテープを探し出してくれたんです。

僕はこのテープをディスクに落とし、入江・大石・山本3君に届けようと思います。
来年、OB会が開かれれば、この下手な歌、喋りをOB会出席者にも聞いていただこうかと・・・。

驚いた話でした。

          21期・山縣慎司

 




(前回の「不思議な縁(えにし)」は…)

あるミュージカル作品をきっかけに、私はHNさんという女優さんと知り合った。
HNさんは「ハイハイプロ」(仮名)に所属している俳優(声優)で、現在も活躍中である。
そのHNさんがある日、私に衝撃の告白をしたのだった。それは…


「実は…私…もともとTIZ(仮名)というミュージカル劇団にいたんです」


まあ、それだけのことだったんですがね?(笑)

ところが、この発言は私の記憶に留められて、今回の「不思議な縁(えにし)」につながるのです。


このたび22期生の谷口博昭さんの一周忌法要に参列することを谷口さんの奥様にお許しいただいたのですが、そのお礼を奥様に申し上げたく、法要の翌日に、私は奥様にメールを送りました。
型どおりというか、紋切り型というか、私のつまらないメールに奥様はわざわざご返事をくださったのです。そして、そのメールには谷口博昭さんと奥様の「なれそめ」も書かれていたのです。

谷口さんが舞台監督をお仕事になさっていたのは皆さんご周知のことだと思いますが、実は奥様も、「元々は劇団の制作スタッフ」のお仕事をなさっていて、その劇団の舞台監督をなさっていたのが御夫君である故谷口博昭さんだったとおっしゃるのです。

そういう仕事の場でお二人は知り合い、やがてご結婚なさったというわけですね。
そして、谷口さんはその劇団が解散するころまで舞台監督として参加し、巡業公演などにもずっと帯同なさっていたそうです。

その劇団というのが…

なんと…

「それはTIZ(仮名)というミュージカル劇団で」

と奥様はメールに書いて来られたではありませんか(驚)


ん?ん?ん?ん?

と……いうことは……
そのTIZという劇団にいたHNさんと、
今や私の友人であるHNさんと、……谷口夫妻は…もともと…


お知り合い!?!?!?

私は早速、メールで奥様に確かめるべく「ひょっとして……HNさんをご存知ですか?」と尋ねました。
すると、「私も谷口(博昭さん)も、HNさんとは互いに知り合いです! 同じ劇団にいたんです!」とのご返事です。



人間はどこでどんなつながりを持っているかわかりません。
考えて見れば私たち人間はどこかで、誰かと何らかのつながりの中で生きているものなのでしょう。
そのツナガリは断ち切り難い「鎖」のようなもの。
そしてその「鎖」は時として、「絆」と呼ばれるものかも知れません。

たった一度の出会い
たった一時の暮らし
たった一瞬の交わり


その「一期一会」を大切にすること…

それができる「人間という存在は哀しくも美しい」のだろうなと思いました。


谷口さんの奥様から、そして谷口さんから「不思議な縁(えにし)」を頂戴しました。



心から感謝いたします。



このブログを始めてからさまざまに「不思議な縁」というものがありました。

直近ではこの前の記事にも書きましたが、22期谷口博昭さんの一周忌法要で、22期谷村さんがほぼ40年ぶりにお知り合いに再会したということがありました。

さてさて、実は、私にもこの法要で「不思議な縁」というものがあったので、その報告をします。
いささか長いのですがお付き合いを…


ご存じのかたもいらっしゃるでしょうが、私には何人かの俳優(声優)さんやナレーターさんの知り合いがいます。その中に「HN」さん(もちろん仮名)というかたがいらっしゃいます。
HNさんは、現在も多くの舞台出演はもちろん、外国ドラマのレギュラー吹き替えなどもなさっています。
私の「不思議な縁」はこのHNさんにまつわるものなのですが、まずはHNさんとお近づきになったいきさつからお話しいたしましょう。

今から25年くらい前でしょうか、私は、あるミュージカルの舞台スタッフのアルバイトをしました。
そのミュージカルは有名な俳優が多く出演していたのですが、その中にひとり、ものすごく思い切りの良い演技をする女優さんがいて、私はその公演期間中、その女優さんの演技を見るのを楽しみにしてホールに通っていました。ご推察の通り、これがHNさんです。
今から思えば誠に失礼ながら舞台袖でそのHNさんに「キミ、むちゃくちゃウマイナ!」と声をかけたことがあります(笑)
もちろん、それ以上にHNさんと親しくお話しする機会などはないままこの公演は終わりました。

その後、HNさんのことをたまたま調べると、その頃から東京の有名なプロダクションに在籍なさっていて、声優としても活躍なさっていることがわかりました。仮にこのプロダクションを「ハイハイプロ」と呼ぶことにします(笑)


時は10年ほど流れて…


今から15年ほど前、私はある専門学校の「声優コース」の顧問講師として招かれました。
顧問というのはカリキュラムを作成したり、それをベースに講師を学校に紹介したりするなどしてそのコースの授業運営に意見を具申するのが仕事です。
そしてその専門学校では高校生向けの「体験入学」にプロの声優さんなどを臨時講師としてお招きするというのです。
担当者が私に「どなたをお招きすれば良いか」と相談を持ちかけてきました。
「どこのプロダクションに講師の派遣を依頼するのか?」と担当者に訊くと、「東京のハイハイプロだ」と言うではありませんか?!
私は一も二もなく「それならなんとしてもHNさんをお寄越しくださるようお願いしてくれ」と言いました。

もちろんHNさんが私のことなど覚えているはずもないのですが、演技の特別講師としてHNさんは適任だと確信していたのです。

案の定、HNさんは学校の担当者からの講師依頼を聞いて「なぜ私を?」と疑問を持たれたそうです。担当者は「顧問の先生がどうしてもとおっしゃっていますので…」というしかありません。
疑問を抱いたまま大阪に来られたHNさんに私はご挨拶をしました。
そして、25年ほど前のミュージカルでの出会いをお話しして御納得いただいたのです。
しかも「そう言えばあの作品で、誰かスタッフがほめてくれたことを覚えている」ともおっしゃいました(笑)

それ以来、HNさんとは今もメールなどで時折やりとりをしていますし、かつては私が主宰していた演技の塾にも講師として大阪にお越しいただいたことも何回かあります。
これも私にとっての、あるいはHNさんにとっても「不思議な縁」のひとつですね。

さて、いつぞや大阪でお会いしたときだったか、私が東京へ仕事に行ったときだったか、HNさんと話しているときのことです。HNさんが私にこうおっしゃったのです。


「実は、私…」


(to be continued…)

岩鶴永久名誉幹事長が作ってくれたこのブログですが、
フォークソングクラブのOB以外も、見てくれているようで、
幹事長あてに、関東在住の21期生から書き込みがあったそうです。
非公開だったので、掲載されていませんが、僕の所に転送されてきました。
“関東にいる同期生の同窓会をやりたい”という内容でした。
クラブOBは皆さんご存知のように、僕は高校を卒業してすぐこっちに来てしまったので、バンドのメンバー、入江・大石・山本以外とは全く没交渉だったので、嬉しい知らせでした。
5月に行われるという事で、楽しい模様はまた報告したいと思います。


悲しい事は、昨31日、『笑っていいとも!』が終了した事です。

1982年10月4日にスタートしてから、31年と6ヶ月、実に8054回も放送されました。
仲間のディレクター5人で立ち上げた番組ですから、やはり思い入れがあります。

金曜日担当だった僕は、明石家さんまさんにレギュラーに入ってもらい、
『日本一の最低男』というコーナーを作りました。
昨晩の『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』では、
唯一そのコーナーが再現され、感慨深いものがありました。

長年、多くの番組制作に携わってきましたが、
その間の思い出の品で残しているのは、ふたつだけです。
そのひとつが、『笑っていいとも!』の第1回の台本です。

金曜日ではないので、僕の担当ではありませんが、
1回目という事で大事にとってあります。
 

それがこれです。



 


笑っていいとも,第1回,台本,画像,フジテレビ




先日来、21期の山縣さんが気にかけていらっしゃる「勝高の食堂での料金はいくらだったのか?」という話題です。


在学中、よくきつねうどんとカレーライスを食べました。
いくらだったかな?

二つで100円もしなかったような気がしますが、
45,6年前の事を覚えている方、教えて下さい。


というコメントを頂戴しておりました。

皆さん、あの当時の料金を覚えていらっしゃいますか??
私は全然覚えておりません。
私の高校時代(’71~’73)では、確かシングルレコードが400円くらい、LPが2,000円くらいで、クラブの年間予算がたった15,000円だったと思います。
しかし食堂での料金はまったく覚えていません。

ただ、35年前(1979年)に勝高の教員だったとき、「コロッケ定食」を140円くらいで食べた記憶があります。でも、「高校時代」はもっと安かったのでしょうねぇ~。

ちなみに山縣さんたち21期生が入学した1966年の物価の一例をネットの孫引きで調べますと下記のような例が出てきました。

●(7月1日に)封書が10円から15円に、ハガキが5円から7円にそれぞれ値上げ
●国鉄の最低運賃が20円(4月1日から)
●ビール(たぶん大瓶)が120円
●かけそばが60円

というような情報がありました。

勝高の食堂の料金…
時代によってそれは異なると思いますが、ほんとうにいくらだったのでしょう…

マサちゃんのお好み焼とか…
それに卵を乗せたらいくらになるとか…

皆さん、情報をお寄せください。


「勝山には生徒専用のスクールバスがあるんや」

中学の担任のその一言で、私はまるでアメリカの高校生になる気分でした。
ほら、よく映画でアメリカの子供たちが黄色いバスに乗って登下校している、あのシーンを思ったのです。こんな感じですね?

(ウィキペディアより拝借)


私は高校入学後、わくわくしながら「動物園前」にあるバス停に向かいました。
話は前後しますが、そのバス停はその後、「フェスティバルゲート」という静かな遊園地になり、今は下記のようになっています。寂しい風景です。



真中に「あべのハルカス」が見えています。
左の大きな建物は温泉施設の「スパワールド」です。
真ん中より少し右に木が1本立っていますが、ちょうどあのあたりが当時のバス停でした。

さて、話を過去に戻しましょう。
バス停は勝高生とおぼしき男女の生徒でごった返していました。

「おいおい、こんなにたくさんの学生が乗れるんか?」

と私がつぶやくと、おそらく上級生でしょう。

「大丈夫や、何台も来るから」

と教えてくれました。
すると、「八尾市役所前」と表示したこんな市バスが来たではありませんか。



私は「勝山高校」と書かれた黄色いスクールバスに乗らねばならないので、「八尾市役所」に行く市バスには乗りません。
しかし、勝高生とおぼしき連中は皆、その市バスに押し合いへし合いしながら乗り込みます。
バスが去ると、また勝高生が増えてきました。
やがて「浪花学園前」という表示の同じような市バスが来ます。



これも私の乗るスクールバスではありません。私の乗るバスは濃い黄色のはずです。

「浪花学園? いろんな学校があるもんやなぁ」

と感心していると、

「お前、勝高やろ? 早よ乗れ!」

と偉そうに言う者がいます。先輩なのでしょうか?
促されて私も乗りましたが、どうしても解せません。

「あの、乗りはしましたけど、僕、勝山高校の黄色いスクールバスに乗るんですけど」
「これがそれや」
「はぁ?!」
「市バスが臨時バスを毎朝出すんや。これからは八尾市役所前か浪花学園前いうバスに乗れよ」

と、教えてくれました。
「浪花学園」というのは勝山高校の通称あるいは別名なのでしょうか?
今もその謎は解けていません。
それに、担任は確かに「黄色い専用スクールバス」と私に言っていました。
でも、詐欺で訴えても、たぶんもう時効なんでしょうねぇ…。

市バスの臨時かぁ…
懐かしいなぁ~~~。

ロート製薬を過ぎたところで、まるで「スキーの滑降」みたいにバスがジャンプするのも楽しかったなぁ~。朝からジェットコースターに乗っているみたいでテンションがあがりました。
バスの運転手さんもそれがわかっているのでジャンプ前には加速していましたね(笑)

それにしても…田舎でしたなぁ…。
田んぼ、倉庫…そして……牧場…。


※昼間に出会った懐かしいカラーのバス
   





検索数との関連は認められませんでした。

となると…やっぱり辻岡さんの記事かな?
辻岡さん、また投稿してください!!

あ、ほかのOBのかたもぜひお願いします!!<m(__)m>

この間、D'Addarioの弦の記事を書いたら、カウンターが125を記録しました。

「弦の記事は検索数がアップするのか?」

という仮定を確かめるために、再度「弦」の話を書いてみます。


今回購入したのはMartinのミディアム弦(3セット)です。

 

amazonで¥1,480-(送料込)でした。安い!
以前、これのLight弦(やはり3セット)を買いましたが、このライト弦も寿命が長いように思います。未だにその弦のままですが、割とクリアな音です。

ただ、マーチンの3セットというのは、1弦と4弦がひとつの袋に3セット、同様に、2弦と5弦、3弦と6弦というカップリングになっているので、扱いがちょっとややこしいですね。ただ、弦が単独で切れたような場合には便利かも知れません。

この間紹介したD'Addarioは1セット×3なので、全部の弦を交換する時には便利です。



ただ、今回もミディアムを買ってしまいました。

指がもつかな…

HN:
26期部長岩鶴
HP:
性別:
男性
職業:
幹事
趣味:
OB会開催
自己紹介:
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