前日の26日、台風27号が抜けて行ったこともあり、昨27日は、たいへん気持ちの良い秋晴れでした。
太陽は燦々と輝き、頬を渡る風は秋本来のもので、第三京浜から横浜横須賀道路を走っている時は、まるで、根本嬢(旧姓・前田)、工藤君と三人でドライブをしているようでした。
都内から電車を乗り継ぐと、横須賀の先の衣笠までは1時間半ほどかかりますが、車だと、30,40分で着きます。
JR衣笠駅で飯塚譲(旧姓・大谷)を拾い、谷口家へ。
高台に建つマンションの10階、玄関前の廊下から見下ろす景色は圧巻でした。遠く富士山が見渡せ、家の中のリビングからは反対に千葉までが見えるそうです。
デザイナーズマンションとでもいうのでしょうか、おしゃれな作りで、リビングの先には広いサンルームがあり、観葉植物が数多く飾られていました。
部屋はメゾネットタイプになっており、リビングからは素敵な階段で11階に上がれるようになっていました。そこが谷口の部屋であり、同時に亡くなっていた部屋です。
二人のお嬢様は外で生活しているため、今は二人だけの生活という事でした。
谷口が亡くなって一人になったせいでしょうか、奥様はたくさん話をしてくださり、1時間強、我々4人はほとんど話を聞いている状態でした。
「毎年、人間ドックだけはなく、脳ドックも受け、野菜をたくさん取る食生活を続け、ここ10年ほどは何の疾病もなく過ごしていたのに・・・」と、奥様もなぜこのような事が起こったのか困惑を隠せないようでした。
遺影には大きく笑った写真が使われており、その笑顔を見ると、何度も一緒に飲んだ光景がよみがえり、とても亡くなったとは信じられなかったです。
来月23日、大阪で49日法要が行われるそうですが、あまりにも突然の死だったため、まだまだ連絡がついてない方が多いので、関東地区の方々がこの先もお別れに訪れることもあるだろうからと、御遺骨は1年は横須賀に置いておくそうです。
来年、奈良の墓地に納骨をするそうです。その際、どこのお寺かは連絡をいただくようにしました。
なお、皆さんからお預かりしたお別れの手紙は、仏前に供えてまいりました。
長い文章になって申し訳ありません。
形あるものはいずれ壊れます。
それは人間でも同じです。いかに長く形を保っていくかが、これからの我々に課せられた任務かも知れません。
皆さん、長生きして下さい。
少なくとも、我々21期より長く生きてください。
わざわざのお運びありがとうございました。
谷口博昭さんの奥様にとっても良いお供えになったのではないかと思います。素敵なご提案をくださり、ありがとうございました。
本当に人の命はわからないものですね…。
私の母も若いころから入退院を繰り返していますが、結局93歳の今日まで生きております。
かと思えば、私どものOBのように若くして突然お亡くなりになるかたもいらっしゃいます。
人間はなかなか悟れないものですが、「いつこの世を去ってもいいように…」という心構えが必要なのかも知れませんね。
私も精いっぱい、何かを遺して旅立ちたいものです。
疲れが出ないように気を付けてください。我々は、まだまだ若いと思っていますが、いい年でもあります。ではまた。