2014/10/13 13:00:51
このブログを始めてからさまざまに「不思議な縁」というものがありました。
直近ではこの前の記事にも書きましたが、22期谷口博昭さんの一周忌法要で、22期谷村さんがほぼ40年ぶりにお知り合いに再会したということがありました。
さてさて、実は、私にもこの法要で「不思議な縁」というものがあったので、その報告をします。
いささか長いのですがお付き合いを…
ご存じのかたもいらっしゃるでしょうが、私には何人かの俳優(声優)さんやナレーターさんの知り合いがいます。その中に「HN」さん(もちろん仮名)というかたがいらっしゃいます。
HNさんは、現在も多くの舞台出演はもちろん、外国ドラマのレギュラー吹き替えなどもなさっています。
私の「不思議な縁」はこのHNさんにまつわるものなのですが、まずはHNさんとお近づきになったいきさつからお話しいたしましょう。
今から25年くらい前でしょうか、私は、あるミュージカルの舞台スタッフのアルバイトをしました。
そのミュージカルは有名な俳優が多く出演していたのですが、その中にひとり、ものすごく思い切りの良い演技をする女優さんがいて、私はその公演期間中、その女優さんの演技を見るのを楽しみにしてホールに通っていました。ご推察の通り、これがHNさんです。
今から思えば誠に失礼ながら舞台袖でそのHNさんに「キミ、むちゃくちゃウマイナ!」と声をかけたことがあります(笑)
もちろん、それ以上にHNさんと親しくお話しする機会などはないままこの公演は終わりました。
その後、HNさんのことをたまたま調べると、その頃から東京の有名なプロダクションに在籍なさっていて、声優としても活躍なさっていることがわかりました。仮にこのプロダクションを「ハイハイプロ」と呼ぶことにします(笑)
時は10年ほど流れて…
今から15年ほど前、私はある専門学校の「声優コース」の顧問講師として招かれました。
顧問というのはカリキュラムを作成したり、それをベースに講師を学校に紹介したりするなどしてそのコースの授業運営に意見を具申するのが仕事です。
そしてその専門学校では高校生向けの「体験入学」にプロの声優さんなどを臨時講師としてお招きするというのです。
担当者が私に「どなたをお招きすれば良いか」と相談を持ちかけてきました。
「どこのプロダクションに講師の派遣を依頼するのか?」と担当者に訊くと、「東京のハイハイプロだ」と言うではありませんか?!
私は一も二もなく「それならなんとしてもHNさんをお寄越しくださるようお願いしてくれ」と言いました。
もちろんHNさんが私のことなど覚えているはずもないのですが、演技の特別講師としてHNさんは適任だと確信していたのです。
案の定、HNさんは学校の担当者からの講師依頼を聞いて「なぜ私を?」と疑問を持たれたそうです。担当者は「顧問の先生がどうしてもとおっしゃっていますので…」というしかありません。
疑問を抱いたまま大阪に来られたHNさんに私はご挨拶をしました。
そして、25年ほど前のミュージカルでの出会いをお話しして御納得いただいたのです。
しかも「そう言えばあの作品で、誰かスタッフがほめてくれたことを覚えている」ともおっしゃいました(笑)
それ以来、HNさんとは今もメールなどで時折やりとりをしていますし、かつては私が主宰していた演技の塾にも講師として大阪にお越しいただいたことも何回かあります。
これも私にとっての、あるいはHNさんにとっても「不思議な縁」のひとつですね。
さて、いつぞや大阪でお会いしたときだったか、私が東京へ仕事に行ったときだったか、HNさんと話しているときのことです。HNさんが私にこうおっしゃったのです。
「実は、私…」
(to be continued…)
直近ではこの前の記事にも書きましたが、22期谷口博昭さんの一周忌法要で、22期谷村さんがほぼ40年ぶりにお知り合いに再会したということがありました。
さてさて、実は、私にもこの法要で「不思議な縁」というものがあったので、その報告をします。
いささか長いのですがお付き合いを…
ご存じのかたもいらっしゃるでしょうが、私には何人かの俳優(声優)さんやナレーターさんの知り合いがいます。その中に「HN」さん(もちろん仮名)というかたがいらっしゃいます。
HNさんは、現在も多くの舞台出演はもちろん、外国ドラマのレギュラー吹き替えなどもなさっています。
私の「不思議な縁」はこのHNさんにまつわるものなのですが、まずはHNさんとお近づきになったいきさつからお話しいたしましょう。
今から25年くらい前でしょうか、私は、あるミュージカルの舞台スタッフのアルバイトをしました。
そのミュージカルは有名な俳優が多く出演していたのですが、その中にひとり、ものすごく思い切りの良い演技をする女優さんがいて、私はその公演期間中、その女優さんの演技を見るのを楽しみにしてホールに通っていました。ご推察の通り、これがHNさんです。
今から思えば誠に失礼ながら舞台袖でそのHNさんに「キミ、むちゃくちゃウマイナ!」と声をかけたことがあります(笑)
もちろん、それ以上にHNさんと親しくお話しする機会などはないままこの公演は終わりました。
その後、HNさんのことをたまたま調べると、その頃から東京の有名なプロダクションに在籍なさっていて、声優としても活躍なさっていることがわかりました。仮にこのプロダクションを「ハイハイプロ」と呼ぶことにします(笑)
時は10年ほど流れて…
今から15年ほど前、私はある専門学校の「声優コース」の顧問講師として招かれました。
顧問というのはカリキュラムを作成したり、それをベースに講師を学校に紹介したりするなどしてそのコースの授業運営に意見を具申するのが仕事です。
そしてその専門学校では高校生向けの「体験入学」にプロの声優さんなどを臨時講師としてお招きするというのです。
担当者が私に「どなたをお招きすれば良いか」と相談を持ちかけてきました。
「どこのプロダクションに講師の派遣を依頼するのか?」と担当者に訊くと、「東京のハイハイプロだ」と言うではありませんか?!
私は一も二もなく「それならなんとしてもHNさんをお寄越しくださるようお願いしてくれ」と言いました。
もちろんHNさんが私のことなど覚えているはずもないのですが、演技の特別講師としてHNさんは適任だと確信していたのです。
案の定、HNさんは学校の担当者からの講師依頼を聞いて「なぜ私を?」と疑問を持たれたそうです。担当者は「顧問の先生がどうしてもとおっしゃっていますので…」というしかありません。
疑問を抱いたまま大阪に来られたHNさんに私はご挨拶をしました。
そして、25年ほど前のミュージカルでの出会いをお話しして御納得いただいたのです。
しかも「そう言えばあの作品で、誰かスタッフがほめてくれたことを覚えている」ともおっしゃいました(笑)
それ以来、HNさんとは今もメールなどで時折やりとりをしていますし、かつては私が主宰していた演技の塾にも講師として大阪にお越しいただいたことも何回かあります。
これも私にとっての、あるいはHNさんにとっても「不思議な縁」のひとつですね。
さて、いつぞや大阪でお会いしたときだったか、私が東京へ仕事に行ったときだったか、HNさんと話しているときのことです。HNさんが私にこうおっしゃったのです。
「実は、私…」
(to be continued…)
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【訃報】
岩鶴様
初めてご連絡申し上げます。
32期OBの伊福部(Vo)と申します。
ご存知の川村君(Ba)、小森君(Vo)、北島君(G)、辻本君(D)
の計5名で”ウルトラ警備隊”というバンドを組んでおりました。
その川村君が今朝亡くなりました。
53歳という若さで突然逝ってしまいました。
次回OB会にも参加する意欲を見せておりました。
余りにも突然で悲嘆にくれています。
32期前後の関係者にも、この訃報がまわっていると思います。
繰り返しますが余りにも突然で言葉になりません。
とにかく飾らない良い奴でした。
言葉になりません。
初めてご連絡申し上げます。
32期OBの伊福部(Vo)と申します。
ご存知の川村君(Ba)、小森君(Vo)、北島君(G)、辻本君(D)
の計5名で”ウルトラ警備隊”というバンドを組んでおりました。
その川村君が今朝亡くなりました。
53歳という若さで突然逝ってしまいました。
次回OB会にも参加する意欲を見せておりました。
余りにも突然で悲嘆にくれています。
32期前後の関係者にも、この訃報がまわっていると思います。
繰り返しますが余りにも突然で言葉になりません。
とにかく飾らない良い奴でした。
言葉になりません。
伊福部 茂様
お辛いでしょうに、訃報をお寄せくださりありがとうございます。
残念です。本当に残念です…。
ご家族、ご友人方、バンドのメンバーの皆さん、クラブで川村さんと接した多くのかたがた、それぞれにお嘆きのことでしょう。
私も僭越ながらお悔やみ申し上げます。
現在のようなかたちでOB会をすることになったのも、2010年の暮れに、私と川村さんが同じ病院に同時期に入院していたことがきっかけでした。
川村さんのほうから私にお声掛けくださり、その時はまさか自分のクラブの後輩だとは気付かなかった迂闊な私です。
あのとき、私も自分の死期に思いを馳せ、「皆が生きている間に同じクラブにいた仲間をお引き合わせ申しあげたい」と思い立ったので、退院後すぐにこのOB会の準備にとりかかったのでした。
あのとき川村さんと再会していなかったら今のOB会もなかったかも知れません。
クラブの部長として、先輩たちの意志を継ぎ、後輩たちにも思いやりをもって接してくださっていたことでしょう。また、私が指導していた某高校のフォークソング系クラブの指導も私の後を受けてお引き受けくださいました。
ありがとう、川村さん!
どうぞ安らかに…
お辛いでしょうに、訃報をお寄せくださりありがとうございます。
残念です。本当に残念です…。
ご家族、ご友人方、バンドのメンバーの皆さん、クラブで川村さんと接した多くのかたがた、それぞれにお嘆きのことでしょう。
私も僭越ながらお悔やみ申し上げます。
現在のようなかたちでOB会をすることになったのも、2010年の暮れに、私と川村さんが同じ病院に同時期に入院していたことがきっかけでした。
川村さんのほうから私にお声掛けくださり、その時はまさか自分のクラブの後輩だとは気付かなかった迂闊な私です。
あのとき、私も自分の死期に思いを馳せ、「皆が生きている間に同じクラブにいた仲間をお引き合わせ申しあげたい」と思い立ったので、退院後すぐにこのOB会の準備にとりかかったのでした。
あのとき川村さんと再会していなかったら今のOB会もなかったかも知れません。
クラブの部長として、先輩たちの意志を継ぎ、後輩たちにも思いやりをもって接してくださっていたことでしょう。また、私が指導していた某高校のフォークソング系クラブの指導も私の後を受けてお引き受けくださいました。
ありがとう、川村さん!
どうぞ安らかに…
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