2013/06/07 03:14:17
日本の大学は良くしたもので、真面目に授業を受けなくても、何とか4年で卒業させてくれるものです。
友達と遊び、芝居ばかりやっていた4年間、必須科目の授業も友達や後輩に出席カードを出して貰ったりしていたので、心理学など一度も出ていない授業もありました。
しかし、試験とレポート提出で何とか単位はくれました。
演劇の道に進もうとしていた僕は、“俳優座”や“劇団四季”を目指していましたが、前者には千田是也、後者には浅利慶太という大巨匠の演出家がおり、芝居の演出をさせてもらうまでには、一体何十年かかるのだろうと、二の足を踏んでしまいました。
結局、舞台の芝居をあきらめ、某テレビ局に就職しました。
当初、そこで担当させられたのは『スター千一夜』や『ズバリ当てましょう!』という番組のAD(アシスタント・ディレクター)でした。
今でこそ、“テレビ60年”とか言われ、近代的な職業になっていますが、
僕が入った頃はまだ20数年しか経っていなかったので、土建屋的な職場でした。
先輩に怒られる、殴られる、灰皿が飛んでくるなどは当たり前の世界だったので、辞めていく人間も沢山いました。制作現場に居る限り、ディレクターにならない事には人間扱いされません。
1980年、転機が訪れます。
すでに、『スター千一夜』などでディレクターになっていましたが、低迷していたお昼の時間帯に、新しい帯番組を始めるという事で、ディレクターの一人に選ばれました。
(続く・・・)
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