2013/06/18 09:52:17
「視聴率5%を獲ってくれれば良い」と言われて始めた番組は、瞬く間に人気番組となり、放送開始1ヶ月後の11月3日には、10.3%という驚くべき数字をたたき出しました。
80年10月から始めた番組が、コンスタントに数字を獲ったからでしょうか、我々5人に、翌81年5月から、野球中継のない土曜夜の8時~9時の1時間、バラエティー番組を作れと新しい指令が来ました。
当時の土曜日の夜は、必ずどこかの局がナイター中継をしており、またTBSはドリフターズの『全員集合』を放送していた関係で、裏番組は壊滅状態でした。
土曜の夜8時、我が局で何が放送されていたか覚えていますか?
局内に居る僕でさえ、確かな記憶がありません。
前年の秋から『ピーマン白書』、81年春からは『小さな追跡者』というドラマが放送されていました。
がしかし、ともに2%台という低視聴率のため、残念ながらどなたの記憶にもないはずです。
そこで、我々5人のディレクターに「好きに作って良い」という事になりました。
“何でも良い。好きにやれ。これ以上視聴率が下がる事はない”。
こんなにも楽な番組作りはありません。
そこで、我々5人は、『笑ってる場合ですよ』の出演者で、好き勝手なバラエティー番組を作りました。
裏番組の『全員集合』が、計算しつくされた番組だったので、我々は全く逆の何が起こるか分からない、ハプニングも、アドリブもそのまま放送する、当時としては画期的な新しい番組を作りました。
それが『オレたちひょうきん族』です。
(続く)
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