高校卒業後、歌と同じように好きだった演劇を学ぶため、
某大学の芸術学部演劇学科演出専攻へ進んだ僕は、ここで2度目の青春を謳歌する事になります。
4年間好きな演劇を学びました。
友達と酒を呑みながら演劇論を交わし、麻雀をし、6畳一間の友達のアパートでブルーフィルム(懐かしい響きですね)を鑑賞し、女の子と遊び、それはそれは楽しい4年間でした。
友人たちと劇団を作り、様々な公会堂・ホール・演芸場などで公演も行いました。
1年生の時は、まだフォークギターを担いで歌も歌っていました。
“六文銭”や、大学の先輩でもあり、作詞やラジオのDJとしても活躍していた“かぜ耕治”さんなどの知遇を得て、あちこちの公会堂に出入りもしていました。
しかし、2年生になった頃からは芝居が忙しくなり、ギターもたまにしか手にする事がありませんでした。
71年の春、かぜ耕治さんに「行ってくれ」と言われて、当時新宿区河田町のフジテレビ内にあった“フジ音楽出版”に行った事があります。
20歳の時です。
“フジ音”に着くと、もう一人女の子が居て、担当者から突然「二人で組んで歌を歌わない?」と言われました。
前年デビューしたトワ・エ・モアの『或る日突然』や『空よ』が大ヒットしている時で、男女二人のデュエットが流行りかけている時でもありました。
そこで12曲ほど歌わされました。
しかし、「申し訳ありませんが、僕は芝居の道に進みたいので・・・」と、お断りしてその場から去りました。
取りあえず、行った事、歌った事でかぜさんの顔は潰さなかったでしょう。
こうして僕は、芝居と共に楽しい4年間を過ごしました。
この4年間が僕の“2度目の青春”です。
(続く)
毎日のように生徒同士の喧嘩があり、中には包丁を持って教師を追いかけまわす生徒がいるような、中々物騒な学校でもありました。
そんなところで3年間を過ごした僕は、勝山高校に入学して、
「学校とはこんなに平穏で楽しい所なんだ」と実感したのを今でもはっきりと覚えています。
※この写真は勝山高校のウェブサイトから無断で拝借しました。すみません!(岩鶴)
当時の高校では珍しい、上履きがある高校。
渡り廊下が斬新だった新校舎。
見た事もない視聴覚教室・・・等々。
何もかもが新しい新校舎で、我々が最初の一年生でした。
楽しい学園生活の始まりでした。
そして、
楽しい高校生活をもっと楽しくさせてくれたのが、
フォークソングであり、
入江、大石、山本の3君でした。
この3年間が僕にとって最初の“青春”です。
(続く)
最近の勝山高校です。左の木の向こうに見えるのは図書館棟(書道教室などもここにあった)。図書館棟は21期生の入学時にはありませんでした。右に見えるのは食堂のある建物です。(岩鶴)
-------------------------------------------------------------------------
※記事にコメントをお寄せくださる場合は、
右下の【comment】をクリックしてください。
ご投稿をお待ちしております。(管理人)