勝山高校入学 (21期 山縣慎司)
昭和41年・春。
受験をした、旧・勝山高校ではなく、巽の新校舎に入学しました。
勝山通りにあった勝山高校。21期生はここで入学試験を受けました。
のちに通信制の桃谷高校になり、現在は大阪府立桃谷高校がこの地に新築されています。
もうこの古い校舎はありません。
新築された勝山高校。
白亜の殿堂という感じでしたね!
まわりは文字通り田園風景がひろがっていました(笑)
畑、田んぼ・・・・そして牧場!
クラスは1年7組。
よりによって、男子ばかり50人のクラスでした。
「男女共学校」に入学したはずの1年7組(笑)
よく見れば全員の表情に怒りとやるせなさが漂っています。
しかし、そこに居たのが、入江正博・大石正人・山本隆の3人。
そして、のちの放送部の部長・片山光男も同じクラスでした。
片山と同じクラスだった事が、その後放送部の女子を大勢
フォークソングクラブに誘い入れるきっかけになったのでしょうか?
因みに、
片山は、その後アナウンサーとなり、現在も大阪で後進の育成に当たっています。
国鉄(現JR)の切符。10円です!
改札では「カチカチカチカチ」という鋏の音がずっと聞こえていました。
「時代の音」ですね~。
どういうきっかけで、「4人でフォークをやろう!」となったのかは、
45年も過ぎた今、全く思い出す事が出来ません。
しかし、4人でグループを組み“クラブを作ろう”としたことだけは、
間違いないようです。
当初は、練習場所もなかったので、山本が言うように
廊下や校門内の芝生などで練習していました。
音楽部付属となった後も、コーラス部が使っていない時に
音楽教室を使えるぐらいで、もちろん楽器置場もありませんでした。
(因みに、2年時のコーラス部の部長は僕でした)
何故、僕がコーラス部に入ったのかも良く分かりません。
「フォークをやるために」などと格好良い事を言っていますが、
僕自身、1年の春過ぎにはもうコーラス部に居たので、
フォーク云々は、後付けに過ぎないですね。
(続く・・・)
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国鉄の切符!
よくもまあこんな古いものをお持ちでしたね、山縣さん!
すごいです!
(次回のエピソードをお楽しみに!)