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一昨年のOB会以来、どうしても・・・どうも・・・・なぜか・・・
「昔」が懐かしくってしょうがない私です。
いや、昔と言っても弥生時代とか戦国時代ではなく、

われわれが高校生だったころの大阪・・・・

やはりアベノ、天王寺近辺です。
ちなみに私に限っては、そこに「新世界(通天閣がある)」も含まれます。

新世界と言えば、高校3年の卒業式後、
われわれのクラスは名残を惜しんで、時間の許す者だけでアベノに出ようということになりました。
実はクラスの大半の者が行動をともにしたのですが、さて・・いざアベノに出てきたのはいいのですが、40人近くの高校生が入れるような店がありません。

そこで相談を受けた私は
「じゃあ、新世界の【づぼらや】へ行こう。あそこはデカイ」
と提案しました。
大阪のかたなら【づぼらや】はよくご存知でしょう。
言わずと知れた「てっちり」(いわゆる「ふぐちり」)の専門店です。
アベノから20分ほど歩いて新世界へ。
そして学生服とセーラー服の高校生が40人ほどで「てっちり宴会」をしました(笑)
酒は飲むわ、タバコは吸うわ・・・・(私はどちらもやってませんよ)
づぼらやが当時は破格に安いとは言え「てっちり」を食べるし・・・
今では考えられないことですね(笑)
その頃の新世界は「治外法権」的なところがありましたね~。

例によって余計な話ばかりしました。すみません・・・。

さて、「昔」を懐かしんでばかりいる私は、最近、「昔の大阪」を収めた写真集を買ったり、図書館でそういう資料を借りて閲覧しています。
購入した本の中に
「昭和30年代の大阪 -〈東洋の奇跡〉を牽引した高度経済繁昌記-」(三冬社)
というものがあります。

その写真集から無断でまずこれ!

昭和34年の天王寺駅・・・だそうです。
ひぇ~、天王寺駅ってこんなのだったのですね~!!!
私はもちろん生まれていましたが、ぜんっぜん、知りません!
どうやら南側に立つあべの近鉄百貨店から撮影したもののようですね。
画像の左上は天王寺公園の入口ですね。だから自動車が走っている道は谷町筋ですな。
画像右側の上のほうには四天王寺の五重塔が見えます。
ちなみにこの3年後の昭和37年には、この画像の左側の広場も埋め尽くして
「天王寺ステーションビル」が建ちます。
これは今もほぼその当時のままですね。

次の無断掲載はこれ!

左上:あべのアポロ座という映画館だそうです。このアポロ座には現在「あべのアポロビル」が建っています。アポロビルは複合商業ビルで、テナントの三木楽器さんには高校時代にお世話になりました!(昭和26年の写真だそうです)
左下:さきほどの「天王寺駅」を撮影したと思われる「阿倍野近鉄百貨店」です~。長い間、このビルで営業していましたが、現在はここに「あべのハルカス(地上300メートル)」が建っています。どうです~屋上には今日もアドバルーンですよ~。(昭和32年の写真だそうです)
右:上本町近鉄百貨店ですって!! 堂々たる入口ですが、すでにデジタル時計が設置されていますね。昭和41年の写真だそうです。

「昭和30年代の大阪」という本には、もちろんほかにも懐かしい写真があります。
こんなのを懐かしがるというのは・・・・
どうも・・・・
いいような・・・
悪いような・・・・

(三冬社様、無断で掲載してすみません~!)


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【懐かしさいっぱい!】
天王寺のステーションビルが出来た時の事はよく覚えています。

「ステンレスってこんなに綺麗なんだ」と、
今では考えられないほど純粋に下らない驚きがありました。

近鉄百貨店の思い出は、最上階にあった“食堂”の
『五目そば』です。

塩味で大好きでした。
コショウをたっぷり振り掛けて食べたのが懐かしいです。

地下鉄の改札を出た左側、
近鉄百貨店の入り口手前にあった
“珉珉”のタンメンと餃子と共に、お気に入りでした。


僕も、1昨年の6月4日以来、岩鶴名誉幹事長を同じく、
昔が懐かしいです。

これは単に歳のせいですかね?

山縣
【Re:懐かしさいっぱい!】
山縣 様
コメントをお寄せくださりありがとうございました!

懐かしいですよねぇ!

>天王寺のステーションビルが出来た時の事はよく覚えています。

私は父に連れられて行きました。
2階の・・・山縣さんにとっては思い出のひとつである喫茶店のところから、西側に伸びる国鉄の線路をカメラで撮影しましたよ。

>近鉄百貨店の思い出は、最上階にあった“食堂”の
>『五目そば』です。
>塩味で大好きでした。
>コショウをたっぷり振り掛けて食べたのが懐かしいです。
>地下鉄の改札を出た左側、
>近鉄百貨店の入り口手前にあった
>“珉珉”のタンメンと餃子と共に、お気に入りでした。

食べ物の思い出というのは強烈ですね!(笑)
脳の不思議さを感じます。
特に子供のころは、どんな体験も強烈で、味覚を通して刻まれた記憶というのは長期にわたって残るものなのでしょう。
失われたものを思いだすというのは、失われた自分を取り戻すことなのかも知れません。

ははは・・・・偉そうに・・・・・。

【近鉄百貨店の屋上といえば・・・】
いつだったか時は忘れたけれど
辻岡くんと「南沙織」のミニコンサートがあるってんで
行ったら超満員。。。
南沙織が出てきたとたんにみんな興奮押せ押せ暴徒化状態
主催者が急遽中止宣言・・・
1階の反対出口でふたりで「出待ち」するも現れず・・・おわり

陸橋の交通整理で有名だったおまわりさん・・・どうしてるんだろ・・・
【Re:近鉄百貨店の屋上といえば・・・】
戸室様

コメントありがとうございます!

南沙織・・・・・・
懐かしいですね~。

私の中学時代に知り合ったミュージシャンですが、神戸に住んでいる牧田君という人がいました。
彼は神戸ではその当時から名の知れた人だったのですが、その牧田君は南沙織の大ファンでした。
「南沙織【17才】最高っ!」
とかおっしゃっていました(笑)

しばらく音信不通になってしまったのですが、高校2年のときに、アリスが所属していた当時の事務所に行くと、その牧田君がいるではありませんか?!
そうです、牧田君の所属していたバンド(四季という名前でした)は、その事務所に所属していたのでした。

南沙織さんはアイドルでしたねぇ~!
交通整理のお巡りさんともども・・・・どうしてらっしゃるのでしょうね??

【南沙織?】
戸室君
覚えてないな~。そんな事あったっけ。
デパートの屋上と言えば、小学校の時に当時の人気テレビ番組で「コンバット」という戦争ものがあり、主演のサンダース軍曹が大丸百貨店の屋上にやってくるというので、亡き母親と一緒行きました。なんと1階から屋上まで行列待ちで、階段をトコトコ登ってほんの一瞬、いつものカッコいい機関銃を持って立ってるのが見えた事を覚えています。
【Re:コンバット!!】
辻岡様

コメントありがとうございました!!

コンバット・・・サンダース軍曹=ビック・モローですね~~~!!

当時はアメリカ製のドラマは花盛りでしたよね?

コンバット
ローハイド(クリント・イーストウッド)
ローンレンジャー
ララミー牧場
ボナンザ
アニーよ、銃をとれ!
ライフルマン(チャック・コナーズ)
拳銃無宿(スティーブ・マックィーン)
名犬ラッシー
名犬リンチンチン(あ~題名を言うのが恥ずかしかったなぁ~)
ミスター・エド(人語を操る馬)

いっぱいありましたね!

私は「ララミー牧場」のジェス・ハーパー役の人に日本語でファンレターを出したんです。
そしたらその役をやっている俳優ロバート・フラーが自分のブロマイドに自筆のサインを入れて送ってきてくれました!
アレ、どこに行ったのかな・・・(笑)

古っ!
【ロバート・フラー】
懐かしい!!!
大好きな役者さんでした。

『ララミー牧場』
“♪ラ・ラ・ミ~”という主題歌が今でも頭の中に残っています。
毎週木曜日の20時(たぶん)が待ち遠しかったです。

小学校後半から、中学校にかけて、
“テレビジョンエイジ”という雑誌や、
映画の専門誌(タイトルは何だったのかな?)を
読みふけっていました。

「ちびっ子ギャング」
「アイラブ・ルーシー」
「パティ・デューク・ショー」
「サンセット77」
「奥様は魔女」
「ハワイアンアイ」・・・

いや、いやあの頃のアメリカドラマには皆はまっていましたね。

懐かしい!!!!

近鉄百貨店の“五目そば”からの、
話の飛躍が凄いですね(笑)

山縣


【Re:ロバート・フラー】
山縣 様

コメントありがとうございます!

『ララミー牧場』は終わりに淀川長治さんの「アサヒこぼれ話」というのがありましたよね?
ビールの泡がグラスから「こぼれ」て・・・というタイトルバックで。(むちゃくちゃ説明的)
あの「さよならっ、さよならっ・・・・さよならっ!」(手をニギニギ)というのはインパクトがありました(笑)
そうですか・・・(たぶん)木曜日の20時からでしたか・・・・。

>映画の専門誌(タイトルは何だったのかな?)を

なんでしょう? 「スクリーン」かな・・・。

>「ちびっ子ギャング」
>「アイラブ・ルーシー」
>「パティ・デューク・ショー」
>「サンセット77」
>「奥様は魔女」
>「ハワイアンアイ」・・・

ああ~、これらの番組は私も見ていましたよ!
「ちびっ子ギャング」は大好きでした(笑)
中でも太ったキャラクターの「ポーキー」というのが好きでした(笑)
モノクロの無声映画でしたよね?
夏にレモネードを売るバイトをする話というのを覚えています。
あっはっはっは!
古いなぁ~!

そう言えば、日曜の朝に「パルナスこども劇場」というのもありましたね・・・。
あれの主題歌を生で聴きたいという依頼の「探偵!ナイトスクープ」があったなぁ・・・。
私もあのテーマ曲を覚えています(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=e_xb26g5frM
【だんだん・・・】
「昔は良かったよね~」はやっぱりオヤジでしょうか?(笑)

オヤジついでに、

トロイ・ドナヒューが好きでした。
テレビドラマ『サーフサイド6』を夢中になって見ていました。

中学生の時公開された映画『恋愛専科』は、ドキドキしたものです。

おそらくローマの街を走るベスパを見たのは
この時が最初ではなかったでしょうか?

実際には、その15年近く前に公開された『ローマの休日』が
あるのですが、流石に赤ん坊だったので、
実際に映画を見たのは『恋愛専科』の方が先だったのです。

う~ん、どんどんオヤジ化してるぞ(笑)





【完全に】
オヤジ化してますよね。

だって何十年も前の事が語れるのに、昨日の晩御飯、何食べたか思い出せない自分。すなわちオジンがここにいるわけで・・
【Re:完全に】
辻岡 様

コメントありがとうございます。
う~ん・・・確かに「ゆうべ何を食べたか」というのは思い出しにくい問題ですね(笑)
生活の糧としての「食べもの」は習慣化されているものですからそれほど意識的に摂食しているわけではないからでしょう。しかし、それが意識的になされるような行為(有名なレストランで食べるとか、すごく変わったものを食べたとか)であればやはり覚えていると思いますがどうでしょう?

語れる何十年も前のこと・・・でも、やはりそれはその人の意識には強く残っていたことだからだと思います。
それが証拠に、その話をしても相手からは「え? そんなことあったっけ?」と言われることも多い(笑)

ちなみにどこかで、
「男性は過去に生き、女性は未来に生きる」
というのを聞いたことがあります。

このジジイにも・・・・思い当たりますね・・・・(笑)
【男性は過去に生き、女性は未来に生きる】
そうなんですよね。

別れを迎えた時、
男性はいつまでも彼女の事が忘れられずにいるのに、
女性はすぐ、次の相手を見つけたりしますよね。

悲しい話です(笑)

って、これは僕だけ?

いやいや、名誉幹事長にも思い当たる節があるようなので、
一般的な男性のほとんどがそうかもしれませんね。



A嬢はどうしているかな・・・・

山縣




【Re:男性は過去に生き、女性は未来に生きる】
山縣 様

>名誉幹事長にも思い当たる節があるようなので、

私はソコまで行かないので・・・(笑)
あ・・・でも・・・・いやいや(笑)


>A嬢はどうしているかな・・・・
A嬢・・・・それは・・・・ララバイ~とかいうアザミ嬢?
A・・・ア・・・・安部「嬢」治・・・ではないですよね? もう亡くなってますよね?
ハタ坊は「ダジョー」ですし・・・・・・。
う~ん・・・・
【A嬢はね・・・】
そんな“ジョー”ではなく、
勝山のね・・・・、同級生のね・・・

って何、言わせんだ!

えっ、誰も言わせてない?
勝手に喋ってる?

そうですよね(笑)

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26期部長岩鶴
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