たった一ヶ月の準備期間で始まった『オレたちひょうきん族』です。
10月に入り、ナイター中継は無くなったとはいえ、裏番組は相変わらず『全員集合』というお化け番組です。
常に視聴率40%をたたき出す怪物の裏番組としてスタートした新番組でしたが、どういうわけか徐々に世間に認知されるようになりました。
と、同時に5人のディレクターが注目を浴びるようになりました。
女子中学生、女子高校生の追っかけが出現し、どうにもおかしな話になってきました。
レコード会社から「歌を出さないか?」、出版社から「本を出さないか?」など、色々な話が舞い込むようになりました。
結局、ポニー・キャニオンから『ひょうきんパラダイス』でデビュー、更に講談社から『それ行け!六本木』という本まで出版する事になりました。
ラジオのニッポン放送では『歌謡パレードニッポン』という午後帯の4時間生放送の番組キャスター、自局のドラマ『サザエさんSP』(実写版・星野知子さん主演)にゲスト出演など、本来の仕事とは全く違う事に駆り出されました。
殆どの新聞・雑誌の取材も受けました。
レコードデビューにあたっては、新人歌手の聖地である、池袋・サンシャインビルの噴水広場で新曲発表会、出版に当たっては紀伊國屋書店でサイン会と、もう何が何だか分からない日々を過ごしました。
毎週行われる社内の会議とは別に、月に一度、ディレクター5人だけで六本木で会議を開いていたのですが、番組の人気が出るにしたがって、おちおち六本木の街を歩けないようにもなってしまいました。
食事の後、5人でディスコ(今でいうクラブ?)に繰り出すのが恒例でしたが、気がつけば、女の子が30人も付いて来ている事がありました。
30人分ものお金は誰が払っていたんだろう?
誰も払った記憶がありません。(笑)
「う~ん、人気タレントってこういう気持ちなんだ。そりゃ、一度やったら辞められないわな」
と実感した次第です』
(続く)
あの時代の超有名人を先輩に持てて幸せです。
ひょうきんパラダイス。
みさせていただきました。
メインボーカルの山縣さん
当たり前ですが・・・若い
当時31歳ですよね
しかし、タレントでもないのにそんな経験
なかなかできるもんじゃないのに
ある意味 絶頂期だったんでしょうか
僕はサラリーマンで、テレビディレクターなので、
このような状態は絶頂期ではなく異常期ですね。
まったく考えもしなかった状態が、4,5年も続いたので、
正直ちょっと疲れましたね。
まったく知らない世間の人々に見られているというのが
どれほど大変かは、また次回の投稿で…。