大阪,府立,勝山,高校,勝高,フォークソング,部,クラブ,OB,卒業生,会,同窓会,同期,先輩,後輩, 忍者ブログ

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



 たった一ヶ月の準備期間で始まった『オレたちひょうきん族』です。

 10月に入り、ナイター中継は無くなったとはいえ、裏番組は相変わらず『全員集合』というお化け番組です。
 常に視聴率40%をたたき出す怪物の裏番組としてスタートした新番組でしたが、どういうわけか徐々に世間に認知されるようになりました。
 と、同時に5人のディレクターが注目を浴びるようになりました。
 女子中学生、女子高校生の追っかけが出現し、どうにもおかしな話になってきました。

 レコード会社から「歌を出さないか?」、出版社から「本を出さないか?」など、色々な話が舞い込むようになりました。
 結局、ポニー・キャニオンから『ひょうきんパラダイス』でデビュー、更に講談社から『それ行け!六本木』という本まで出版する事になりました。
 ラジオのニッポン放送では『歌謡パレードニッポン』という午後帯の4時間生放送の番組キャスター、自局のドラマ『サザエさんSP』(実写版・星野知子さん主演)にゲスト出演など、本来の仕事とは全く違う事に駆り出されました。
 殆どの新聞・雑誌の取材も受けました。
 
 レコードデビューにあたっては、新人歌手の聖地である、池袋・サンシャインビルの噴水広場で新曲発表会、出版に当たっては紀伊國屋書店でサイン会と、もう何が何だか分からない日々を過ごしました。
 
 毎週行われる社内の会議とは別に、月に一度、ディレクター5人だけで六本木で会議を開いていたのですが、番組の人気が出るにしたがって、おちおち六本木の街を歩けないようにもなってしまいました。
 食事の後、5人でディスコ(今でいうクラブ?)に繰り出すのが恒例でしたが、気がつけば、女の子が30人も付いて来ている事がありました。
 30人分ものお金は誰が払っていたんだろう?
 誰も払った記憶がありません。(笑)

「う~ん、人気タレントってこういう気持ちなんだ。そりゃ、一度やったら辞められないわな」

 と実感した次第です』


(続く)
 

PR


【夢の中へ】
夢じゃなく現実だったんですね。属にいう役得ってやつですね。
あの時代の超有名人を先輩に持てて幸せです。
【ひょうきんパラダイス】
昭和57年4月放送の ひょうきんディレクターズによる
ひょうきんパラダイス。
みさせていただきました。
メインボーカルの山縣さん
当たり前ですが・・・若い
当時31歳ですよね

しかし、タレントでもないのにそんな経験
なかなかできるもんじゃないのに
ある意味 絶頂期だったんでしょうか
【絶頂期?】
う~ん、何を持って絶頂期というのかは分かりませんが・・・。

僕はサラリーマンで、テレビディレクターなので、
このような状態は絶頂期ではなく異常期ですね。

まったく考えもしなかった状態が、4,5年も続いたので、
正直ちょっと疲れましたね。

まったく知らない世間の人々に見られているというのが
どれほど大変かは、また次回の投稿で…。
この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








HN:
26期部長岩鶴
HP:
性別:
男性
職業:
幹事
趣味:
OB会開催
自己紹介:
大阪府立,勝山,高校,フォーク,ソング,部,クラブ,OB,会,同窓会
[01/19 武藤 昇]
[10/27 福山隆司]
[06/17 山縣慎司]
[06/02 伊福部 茂]
[04/15 伊福部 茂]
[01/05 山縣慎司]
[11/26 芳本 博昭]
[11/24 芳本 博昭]
[10/28 山縣慎司]
[10/28 澤田 幸子]
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30