ヤマハ音楽振興会主催による音楽コンテストと言えば、『ポップコン』が有名ですが、
昭和42年から5年間、『ヤマハライトミュージックコンテスト』という催し物が開催されていました。
この大会からプロになったグループには、
ジャックス(第1回)
赤い鳥(第3回)
オフコース(第3回)、
チューリップ(第4回)
などがいますが、
どこでどう聞きつけたのか、『ヤングタウン』出演後、JUNKMENに
「『第2回ライトミュージックコンテスト』の大阪地区予選に出場しないか?」
という話がヤマハから舞い込んで来ました。
「我々ド素人に?」
でも………
「フォークをずっとやり続けるつもりはありません。我々はこの後、大学受験を控えているので・・・」
という事で出演は辞退しました。
(本音は、「とても我々の力では無理」でしたが・・・)
そして、その言葉通り、『ヤングタウン』出演後、バンドとしての活動は終わりました。
フォーク科とはいえ、曲りなりにもクラブが出来てわずか1ヶ月半後でした。
その後はそれぞれが、ソロで歌っていました。
43年10月7日に開かれた、新校舎第2回の『文化祭』には、
それぞれがソロで出演しました。
入江『ガイコツの唄』
山本『旅立つ人』
山縣『ベトナムの空』
もちろん、その後も4人で集まっては、歌ったり遊んだりしていましたが、対外的な活動は一切ありませんでした。
そして、・・・44年・春。
我々21期生はたくさんの思い出を残し、勝山高校を卒業したのです。
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山縣さん、たくさんの思い出をお送りくださりありがとうございました!m(__)m
私の想いなど取るに足らぬことですが、21期生の皆さんのお陰で、私も貴重な青春時代を送ることができました。
この場を借りて、21期生を始めとした先輩方、そして協力してくれた同期生、さらにこんな私に付き従ってくれた後輩の皆さんに感謝いたします。
さてさて、次は誰が「思い出」を披露してくださるのでしょうか?
(次回のエピソードをお楽しみに!)