2012/06/04 14:47:54
クラブ活動認可 (21期 山縣慎司)
昭和43年4月9日以前、一緒にフォークをやっていたのは、
21期の入江・大石・山縣・山本と
22期の今村・谷口・谷村・梁川の8名。
あとは、我々21期のマネージャーとして大谷嬢が居ただけです。

天王寺区のアベノ筋東側路地にある「珉珉」です。
あの付近もずいぶん風景が変わってしまいましたが、当時の「珉珉」は高校生でも入って食べられるくらい安くてボリュームがありましたね~。
ユーゴー書店や喫茶店キムラヤもいまはもうありません…。
(次回のエピソードをお楽しみに!)
昭和43年4月9日以前、一緒にフォークをやっていたのは、
21期の入江・大石・山縣・山本と
22期の今村・谷口・谷村・梁川の8名。
あとは、我々21期のマネージャーとして大谷嬢が居ただけです。
そして、43年4月9日に正式に学校から認可された“音楽部付属フォーク科”には、
早速翌日から正式な入部希望者がやってきました。
現在東京に住んでいる稲葉嬢(当時2年)と最近、所在が分かった巽嬢(同・2年)の二人です。
(尤も、皆を総合すると、この二人はどうやら僕が「むりやり(?)」誘って入部させた感じも・・・)
翌週には入学したばかりの1年生が入部してきました。
18日に、
瀬田・福山・米津・岩崎君と田村・丹・岩井嬢の7名が、
20日に11名、22日に2名・・・
結局部員は32名に膨れ上がりました。
その後も、1年生・2年生が続々と入部し、1ヶ月後の5月4日には、部員数52名の勝山高校最大のクラブとなったのです。
その間も、我々JUNKMENはお呼ばれが続き、
5月13日『剣道部・新入生歓迎パーティ』
14日『勝山高校卒義生同窓会 若葉会』
などに出かけては、歌っていました。
そして翌々日の16日、
毎日放送の『ヤング・タウン』に出演したのです。
JUNKMENは、この毎日放送出演を最後に解散しています。
(続く…)
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天王寺区のアベノ筋東側路地にある「珉珉」です。
あの付近もずいぶん風景が変わってしまいましたが、当時の「珉珉」は高校生でも入って食べられるくらい安くてボリュームがありましたね~。
ユーゴー書店や喫茶店キムラヤもいまはもうありません…。
(次回のエピソードをお楽しみに!)
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