その後、投稿がないためです(笑)
あ、尤も、山縣さんには不定期に続編をお送りいただいております。
この場でお礼申し上げます。m(__)m
でも、あまりこのままにしておくと、山縣さんに投稿の催促をしなければならなくなってしまうのではないかと危惧されます(笑)
しばらくの間・・・・・いやいや、相当に長いと思われますが・・・・私の「アマチュー」を連載いたします。
ヘタな文章ですが、あのころを思い出してご高読くだされば幸いです。
26期■岩鶴恒義
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担任のS先生に「お前、どこに行きたいねん」と訊かれた私は即座に「I高校」と答えました。
するとS先生は「・・・・お前・・・・勝山行け」というのです。
「へ?・・・か、か、カツヤマァァァァ?????」
当時、私の学区で「勝山高校」と言えばすでに偏差値が急激にロールダウン中だったし、
なにより1学年上の大嫌いなヤツが進学した学校だったので、私にとっては一番避けたい
学校でした。
そもそも私、中学では学年で3番の成績やったんですよ! 3番!
(生徒数が3人だったわけではありません。念のため)
「ええゾ~勝山は~。スクールバスもあるし、この間(5年前)校舎が新築されたからピカピカやぞ~。いっぺん見に行って来い」
と、S先生は言うのです。
ガックリしながらも私は父の運転する軽四で、家から遥か彼方にある勝山高校を念のために見に行きました。
大阪環状線の高架下の勝山通りに入ったとき、車の8トラカーステレオから流れていたの
は「ティコティコ」という曲だったことは今も覚えています。
それが「枯葉」に変わり、やがて「イエスタディ」も終わろうとしていました。
「おいおい~どこまで行くんや~」
と、思われるほど勝山通りを東に向かいました。
「あれ生駒山やんけ! おいおい、勝山って奈良にあるんか?!」
シティボーイの私(笑)にはあまりに淋しい田園風景が広がっています。
畑、田んぼ、工場、倉庫群・・・そして舗道部分はまだ土のままの道路・・・。
そう言えば、大昔、「自動車道」(アスファルトの道)とか「電車道」(市電などの路面電車道)とか言うてましたね・・・。
やがて「ムゥオゥ~~~」という牛の鳴き声がかすかに聴こえて来ます。
「矢柄(やがら)牧場? ここは一体どういう場所なんだ(やねん)!?」
牧場とは名ばかりの、ほとんど牛舎だけのその平屋の建物の前に・・・・
白亜の殿堂、大阪府立勝山高等学校が私の眼前にその威容を現したのです。
(つづく)