6月10日、初夏のさわやかな青空が広がっていました。
朝早くから三木楽器さんがトラックでPA機材を運びこんで仕込んでくれました。
野音ですからかなりの量の機材です。
まるで「春一番コンサート」みたいでした(笑)
出演校もつぎつぎに会場入りして来ました。
「楽屋」といってもあそこには大きな部屋しかありませんので全校まとめて入ってもらいました。あとから出演する高校には外で待機およびチューニングなどをしてもらいました。今更ですが、改めてお詫び申し上げます。ただ、小さな個室がひとつあったので、それは女性の更衣室にしたような記憶があります。
でも・・・・例によってコンサートそのものについてはあまり記憶がありません(笑)
どんな風に始まって、どんな風に進行して、どんな風に終了したのでしょう・・・。
さっぱりおぼえていません。
ただ、大きな事故やもめごともなく・・・・心配した動員も常に会場は6~7割くらいの人で埋まっていたように思います。
T記者も会場に来てくださっていたように思いますし、私どものクラブのOBも何人かお越しくださっていたように思います。会場の外にタコ焼き屋さんとか、アイスクリン屋さんの屋台が出ていたようにも思います(笑)
ひとまず私は1年生のときに発案したコンサートを、厳密に言えば高校時代に2回も開催することができました。
多くの人たちの多大なご協力あったればこそです。
クラブを作り、それを継続・発展させようと努力してくださった先輩方
部の存廃の危機を救ってくださった下郡先生および勝山高校の先生方
私の呼びかけに応じてくれた各校の部員およびその代表者
結果的に堺ヤマハと私を結びつけてくれたG氏(ちょっと胡散臭かったけど・・)
堺ヤマハとその大学生スタッフ
ザ・ムッシュのメンバーとその所属プロダクションのマネージャー
高校生ばかりのコンサートに快く出演してくれたアリスの皆さん
とんでもない要求をしたにも拘わらず協力してくださった三木楽器とそのスタッフさん
後輩の前で私の弁護までしてくださったサンケイ新聞のT記者
そして反発しながらも私について来てくれたクラブの後輩達・・・・
彼らのお陰でこの「マリパク」(合同コンサート)も、そして私たち「フォークソング部」も、以後10数年続きました。
人間は非力で愚かで、一人では何もできません。
しかし人間は決して一人きりではない。
必ずそばに寄り添ってくれる人間はいるのだと信じたい。
そして、たとえ諍いがあったとしても、いつの日か解り合えるものだということも。
私は昨年のOB会でもそれを感じました。
多くの人々の努力と協力と熱意で事は成し遂げられるのだと思います。
改めて、私に関わってくださった多くのかたに心からの感謝を!
余談ですが、私が「引退」するこの年の秋の文化祭では、同期の工藤さんが私の演奏に合わせてピアノを弾いてくれました。この日のために組んだ2人だけのバンドです。
2日目の講堂(体育館)での私の持ち時間はもともと20分だったのですが、前の出演バンドがそれぞれ早く終わっており、累積で40分もあったので、「よっしゃ!」とばかりに私は予定にない曲も演奏して目いっぱい40分使いました。
演奏が終わって舞台袖に入ると2年生の女子部員に
「いつまでやってるんですか!
勝手なことは止めてください!
決まった時間を守るの当たり前でしょう!」
と叱られました(笑)
3年の文化祭初日。視聴覚教室です。
このギター(Chaki W-3)は、野音のコンサートのために売られそこなったもの(笑)
でも、このギターは現在、弦は張られていませんが、私の横で静かに眠っています。
この翌日の講堂で後輩に叱られます(笑)
そんなことも知らず、ご満悦で演奏している私。愚かです。
(おわり)