「マリリン・パクパク・フォークコンサート」 (略称:マリパク)
まったく意味のわからないネーミングです。
後輩達には申し訳ないのですが、そのときの私はもうテンションが落ちていて、その意味のなさに意見を言う気力もありませんでした。
それに「すぐ変えればいいや」という楽観もあったのです。
ところがこのネーミングで、この「合同コンサート」はこのあと十年余り続いたようです(笑)
※赤ちゃんの名付けは慎重に! 十年どころか、一生ついてまわるものですよ!!
さて、ひとまず「合同コンサート」を開催できはしましたが、私はやはり「高校のクラブ活動」がほんとうの意味で自分達の力だけで結集し、発展していくためには「冠公演」すなわちスポンサーつきの公演ではやはりダメだろうと思いました。
「スポンサーなし、入場料なし、ゲスト(OBも)なし」でなんとかやれないものか・・・・。そうして現役生だけで活動を続けていればひょっとしたらいつか学校からもこのイベントのための予算がつくかも知れないと・・・。
私は3年生になろうとしていましたが、どうしてももう1回、今度は先日の会議で決めたコンセプトにできるだけ添ったコンサートをしようと思っていました。本当に私は「懲りないヤツなんです」・・・・(^_^;)
でもお金がありません・・・・(涙)
その頃弾いていたギター(FG150ではない)を売って資金を作ろうとも思いましたが、誰も買ってくれそうにありませんでした(笑)
思いあぐねた私は、私たち勝高生のターミナルである「あべの橋」のアポロビルに行きました。
そこに三木楽器があることを知っていたからです。
つまり、例によってアポなし、企画書なしで私は三木楽器のスタッフにダメ元でお願いしに行ったのです。
「今度、高校生ばっかりでコンサートをしたいんです。1回はこの間やりましたが・・・ヘヘヘ」
「ほぉ」
「お金がないのであそこにある天王寺野外音楽堂で・・・」
「なるほど・・・」
「で・・・・大量のPA機材と音響スタッフが必要です・・・・よね?」
「ああ~それは要りますね~」
「機材を提供してください! それも、お金がないのでタダで。さらに三木楽器の宣伝もなしで・・・あっはっはっはっ(汗)」
「わかりました。やりましょう」
Once upon a time in ABENO です。
古き良きフォークの時代でしたねぇ!!!
(良い子の皆さんは危険ですから決してマネをしないでください。おそらくあの時は三木楽器さんに何かの考えがあったのか、あのスタッフさんが何か勘違いしていたのだと思います)
拍子抜けするような会話で、ひとまずPA機材と音響スタッフは確保できました。
もちろん私はこのあと、ちゃんと手書きの企画書を三木楽器さんに提出しました。
そして、各校の代表あてにまた連絡です。今回は純粋に私が主催するコンサートです。
コンサートの時間もたっぷりとれるでしょう。
だから今度は「できるだけ多くの後輩達」を出演させようと思っていました。
(つづく)