私は各校の代表への連絡とともに、Gとも頻繁に連絡を取り、打ち合わせを重ねていました。
そんなある日、Gは「心斎橋ヤマハではこの企画を実現できない」と私に言います。
おそらくGの「企画の売値」が、いや、ひょっとすると「企画を売ろうとする行為」そのものが障害になったのかも知れません。あくまで私の推測ですが…。
そしてGは「今後は堺ヤマハに企画を持って行く」というのです。
私とGは南海高野線「堺東駅」近くの「堺ヤマハ」を訪ねました。
そこには大学生のスタッフが2人いて、彼らがこの企画に興味を持っていたらしいのです。
当時の「堺ヤマハ」は大きな楽器店で、ヤマハを始め、有名かつ高価なギターが多く陳列されていました。
ここに来れば素晴らしいギターに囲まれ、時にはそれらを試奏できるかも知れないという環境に強い憧れもあった私は頻繁に出入りし始めました。もちろん、ただ遊びに行っていたのではなく、スタッフとの「合同コンサート」の打ち合わせが大前提となっていました。(交通費だけでも往復すれば高校生には大きな出費でしたから…)
そんな秋のある日、堺ヤマハの例の大学生スタッフから私に電話がありました。
ここで詳しい事はお話できませんが、どうも「Gの企画案では無理がある」というのです。
そこでGの企画を排して、言いかえれば「G本人を排して」私が現在まとめている「高校生の団体」でコンサートをやれないだろうかと言うではありませんか。
私は心躍りました。
各校の代表にこの企画を提案して10カ月あまり。企画は全くと言っていいほど進行しておらず、私もいささか焦っていたのです。私は逸る心を抑えながら、この提案をひとまず受諾しました。
とうとう、私の夢想に近い企画が実現しようとしているのです。
案の定、後日このことを聞きつけたGから私に抗議の電話がありました。
電話の向こうから興奮したGの罵詈雑言が延々と続きました。いわゆる「脅し」のような発言もありました(笑)
例えれば、自分の付き合っている女性が紹介相手に気移りしたようなものです。
しかし、残念ながらと言うべきか、どこかでGには申し訳ないとは思いつつ、今の私には「合同コンサートの開催こそがすべて」で、その前にある壁がなんであろうとひたすら排除することしか考えませんでした。Gにすれば私の行動は「裏切り」以外のなにものでもなかったことでしょう。
しかし私はGからの抗議に耳を籍さず、すぐに堺ヤマハのスタッフと具体的な打ち合わせに入りました。
私は来年には3年生になりますから、この企画にはあまり参画できないだろうという自分の都合と、各団体に声をかけて長い間待たせてしまったことへの自責の念もあり、なんとか今年度中の開催を急いでいました。
そしてようやく企画がまとまり、翌年2月11日、堺市民会館大ホールで開催することが決まったのです。
(つづく)