【前回までのあらすじ】
「私」が一年生の秋。実質的にフォークソング部は「部員ひとり」となり、これが職員会議で問題となる。このクラブ存廃の危機は顧問の下郡先生の尽力で脱することができた。「私」は、クラブの活性化を目的とした「高校生の手による合同コンサート」を企画する。
当時の高校生はとにかくお金がありません。
学校も臨時予算など出してくれるとは思えません。
とてもではないけれど外部でコンサートなど簡単に開催できる状況ではなかったのです。
「出演者ひとりにつきいくらかの参加費を徴収するか。いや、それでは参加者が減ると自動的に予算も減ることになる。決まった会場費や、その他経費を払うのにそれは無謀だ」
「入場料収入を見込むか。いや、学校単位で行うコンサートでそれ自体を学校は認めないだろう。そもそもアマチュアの高校生が予算に見合うだけの観客を動員できるか」
「スポンサーを見つけるか。でもどこが出資してくれるか」
さまざまに考えましたが良い知恵が出てきません。
各校代表ともずいぶん話し合いましたがなかなか打開策が出て来ないのです。
そんなある日、どこでどう聞きつけてきたのか、ある男が私にコンタクトをとってきたのです。・・・・と、書いた今、この瞬間、記憶が鮮明になりました(笑)
私は、初夏のある日、心斎橋のヤマハに出向きました。
アポなしで、この「合同コンサート」企画をヤマハの誰かに訴えようと思ったのです。
やっぱり高校生ですね~。やることが無謀です。
行くと、カウンターのところでヤマハの店員さんと若い男が何やら話しています。それは雑談のように思えたので、私は話に割り込み、用向きを伝えました。
するとその若い男が「自分もそういう企画をヤマハに持ち込んでいる」と言うではありませんか!
私たちはすぐにヤマハを出て近くの喫茶店で話すことにしました。
喫茶店でタバコをふかしながらその若い男(名前はもう忘れたので仮にGとしておきます)は、再度、自分がヤマハに持ち込んだ企画の内容を話します。それは私が考えていた内容とほぼ同じでした。そして、この企画からプロミュージシャンを発掘してとか、全国規模にしてというような気宇壮大な話をします。もちろんそれは発展的な話としてはいいでしょう。ところが、「企画をヤマハに売る」ということを力説するのです。Gは今でいうプランナー、企画会社の個人版のような人間でした。
しかし、一介の高校生に過ぎない私にGは頼もしく見えました。なにしろ大手楽器店であるYAMAHAとコネクションがあるようなのです。ただ、「売る」ということに対しては私の企画の主旨(あくまでアマチュアが主催する)に合わないので、以後、その点にだけは注意を払っていました。
Gとはその後も連絡を取り合い、彼が取りまとめているところの高校生たちとも会いました。ただ、彼らは良く言えば「大人」で、悪く言えば「胡散臭い」のです。
その高校生の中には帰国女子で、のちにアイドルとなって全国展開する女性もいました。彼女の名前は差しさわりがあるので出せません(笑)
すなわち、「プロを目指す私」が言うのは矛盾しているようですが、私の目に彼らは「まずは音楽を使ってメシのタネにすること」だけをもくろんでいる者達に思えたのです。
(つづく)