【前回までのあらすじ】
勝山高校に入学してすぐに「私」はフォークソング部に入部する。しかし、お仕着せで組んだバンドのメンバーの一部が「プロ」を目指しそうにないと感じた「私」はソロ活動に転じた。しかしその後、同期生たちは次々と退部した。入学半年後の秋、1年生部員は「私」ひとりになってしまう。
秋の文化祭は2日間です。
私たちフォークソング部のコンサートは、視聴覚教室で行う日と講堂(体育館)で行う日にわかれていました。
3年生はこの文化祭で「引退」ということになるので、両日出演しますが、1年生は視聴覚教室だけに出演します。
例によって私はこの「文化祭」のことを覚えていません(笑)
ただ、ソロで出演した記憶がおぼろげにあります。
なぜなら1年生は私だけなので、半自動的に出演できたはずなのです。
そして、いわゆる新「部長」もこの文化祭後に決めます。
これには私が必然的に就任しました。なにしろ一人なのですから・・・。
つまり私たちのクラブの「部長」と言うのは「1年生の秋から2年生の秋までの1年間」ということになります。
ところが、この文化祭以降、異変が起きます。
3年生は「引退」したので基本的にクラブ活動に来ることはありません。
ところが2年生までも活動する人が徐々に減ってきたのです。
確か11月には、地学教室でギターを弾いているのは私一人になっていたと思います。
放課後、一人で地学教室に来て、一人で練習し、一人で施錠して帰るという日々でした。
部長だし、ソロだから、まあそれでもいいんですけど(笑)
でも、毎日「一人クラブ活動」というのはきついものがありました。
これ・・・吹奏楽部とか団体スポーツだったら過酷でしょうねぇ・・・。私は恵まれていましたね・・・。
新年度が始まるまであと4カ月。
長期休暇もあるので実質的には2カ月ほどですが、果たして新入生から入部者がいるかどうかも覚束ない状態で、しかもこのままではそれまでクラブが存在しているかどうかも微妙です。
私はかなり滅入っていました。
そんなある日、地学教室に置いてもらっているクラブ専用のスチール戸棚から私はある書類を取り出しました。
以前からときどき目を通していた小さな手書きのノートです。
ページの最後には今年引退した3年生の連絡先データが誰かの手によってすでに書かれています。
さらに遡ってページをめくると、その前年に卒業したOBの連絡先。そして、そのデータはクラブの創立メンバーである20期、21期の当時の連絡先から始まっていたのでした。
まるで家系図のようなそれらを改めて見て、私は今この教室にいることの不思議に打たれました。
20期、21期の人たちがクラブを作った苦労を偲び、そのあとを受けてクラブを維持し、発展させようと努力してきた先輩達に思いを馳せると、なぜか泣けてきました(笑)
私はこの人たちに報いるためにも絶対に自分の期でクラブを失くしてはならないと誓いながら、地学教室を施錠して帰りました。
(つづく)