無事に勝山高校に入学した私でしたが、予想に反して勉強について行くのがやっとでした。
中学では学年3番だった私がです。私のプライドは引き裂かれそうでした。
どの教科も中学のレベルではついていけそうにないその高度な内容に驚き、とうとう同級生にそのことを尋ねましたら、やはり皆「ついていけるかどうか自信がない」というのです。
私は「自分だけではなかった」と密かに安心しました。
(このあたりの文体は夏目漱石「こころ」を彷彿させます。あれ? 私、いまだ「中2病」が完治していないようですね)
※ちなみに中学の担任Sが言っていた「勝高専用のスクールバス」というのは「大阪市営バスの臨時便(朝の登校時間帯だけ運行)」のことでした。だまされました。
私の教室はグラウンドに面した南館校舎の4階の西側にありましたので、放課後、その廊下の東端にある「地学教室」付近でギターを弾いている人たちがいるのを知っていました。
サッカーでのオリンピック出場を断念せざるを得なくなっていた私は、こんどはプロミュージシャンを目指そうと思っていたのです。やはり中2病でした。
幸い、やはり「中2」のころからギターを弾いていました。
きっかけは「MBS 歌え!ヤングタウン」という深夜ラジオ番組です。
このブログでも「ヤンタン」が話題に出ていましたね。
その番組で流れていた「今月の歌」がウッディ・ウーの「今はもうだれも」です。
12弦ギターのきらびやかな音と、エレキベースのうなるようなフレーズ、高音の歌声・・・魅了されました。
もちろん自分でもこの歌を練習したのは言うまでもありません。
ギターはナンバの・・・確か・・・ナカイ楽器で買ったのではなかったかと思います。
今もある梅田ナカイ楽器のご本家が経営なさっていたような気が・・・・ああ・・・もう記憶が曖昧です。
ともかくその楽器屋さんで、お年玉で買えたのがYAMAHAのFG150というお尻の丸い、セミオーディトリアムタイプのギターでした。(23期の福山さんと同じギターだったのですね)
←FG150です。ウィキペディアより拝借
さて話は少し変わりますが、当時、「ヤンタン」を始め、若い人たちの間ではラジオの深夜放送が大人気でした。
■「ABCヤングリクエスト」
私は中3のとき、この番組の「心の旅‐遠くに行きたい‐」に投稿して採用されました。私の投稿はこの番組で初めて「ラジオドラマ」になったのです。さらに、そのときのナレーターさんは、やがて私が入団することになる劇団の俳優でした。また高校から大学にかけては、何度か「ミキサー完備スタジオ貸します」に出ました。そして後年、私はこの放送局でラジオドラマの演出をすることになったのです(笑)
今はここでラジオCMのナレーションをやることもあります(笑)
人生は不思議ですね~。
■「チャチャヤング」(Chat,chatという意味だそうです。チャットですね!)
ヤンタンの後に放送されていました。ザ・ムッシュという男性3人のバンドがパーソナリティで出演していて、このバンドのメンバーとは勝山高校時代にお近づきになりました。あろうことかこのバンドの税金の申告相談まで私の親が引き受けることになったのです(笑)
■「OBC Hatでヤンヤン」
大国町トミヤマのビルの特設スタジオで公開生放送していました。だからこれは夕方の放送ですね。パーソナリティは尾崎千秋さん。実はこの人とも30年の時を経てお近づきになりました。人間、ちょっと長く生きるといろいろな知人が増えますね~。余談ながらOB会を通じて「あの伝説の番組ディレクター」ともお近づきになれました(笑)
やがてある日、私は自分のFG150を、高校生でもあまり持っていないハードケースに入れて、鼻息荒く地学教室に向かったのです。ふんっっっ!
(つづく)