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日本のサポーターのテーマソングというのでしょうか、あの歌が聴こえてきます。
♪~ この大空に翼を広げ飛んで行きたいよ~ 悲しみのない自由な空へ~
「赤い鳥」の「翼をください」です。
残念ながらザック・ジャパンは本田選手の豪快なシュートで先制したものの、逆転負けしてしまいました(>_<)
今後に期待しましょう!!!
♪~ 守りも嫌がる盆から先にや~ 雪も散らつくし… 子も泣くし…
多くの方がご存じの「竹田の子守唄」です。
これも「赤い鳥」のレパートリーです。
「赤い鳥」のハーモニーは、当時の日本では聴いたこともないような美しいものでしたね!!!
これは「関西地区」で行われた、「フォークヴィレッジ関西地区大会」(バイタリス提供)のオーディションでの写真だと思われます。(24期OBのO氏提供)
写真はゲスト出演なさっていた「赤い鳥」です。
下手(画像左)から、山本俊彦さん(2014/3/28ご逝去)、大川茂さん、新居潤子さん、平山泰代さん、後藤悦治郎さんのようです。
ちなみにこの時のゲストはほかに「ジローズ」と「ビリー・バンバン」のようです。
(掲載していませんが、やはりOBのO氏提供の写真からそうと知れました)
さて、ご存じの通り、「赤い鳥」はやがて、山本さん、新居さん(お二人は後年、ご夫婦となります)、大川さんの3人で結成した「ハイファイセット」と、平山さん、後藤さん(やはりご夫婦となります)の「紙ふうせん」に分かれます。
この画像ではだれも楽器を持っていないので、おそらくアカペラのレパートリーなのでしょう。
「ハーモニーの美しさを聴かせる」という赤い鳥メンバーの自負がこの写真から感じられます。
さて、1969年10月の「歌え! MBSヤングタウン」の「今月の歌」は、その「赤い鳥」のレパートリーである「赤い花 白い花」です。
ご周知のことでしょうけれど、「赤い鳥」というグループ名は、大正時代に創刊された「赤い鳥」という子供向け雑誌名に由来しているようです。
主宰の鈴木三重吉を始め、多くの小説家や詩人が「子供のために、質の高い童話と童謡を提供する」ためにこの雑誌を創刊したようです。
私はこの「赤い花 白い花」を聴くと、斎藤隆介の絵本「花さき山」を想起します(笑)
今では多くのかたがご存じの「赤い花 白い花」です。
B君「生野車庫行やったかなあ?」
C君「雨降ったら、たまらんかったなあ」
D君「バス停で、3、4人集めてタクシーで行った事あったで」
C君「あった、あった。プール学院の前通ってなあ」
B君「いや、プール学院はバスでも通るで」
Eさん「中庭で、昼休みにフォークダンスやってたなあ」
山縣「ええっ、そんな事やってた?知らない」
Eさん「山縣君、昼休みどこ行ってたん?」
山縣「ええっと、裏門乗り越えて、どぶ川渡った喫茶店かなあ」
F君「なに、それ?」
山縣「いや、まあ・・・」
Gさん「Oさんと?」
山縣「えっ、いや違うよ」
Hさん「そういやあ、山縣君とOさん、いっつも一緒におったなあ」
山縣「そうね・・・」
Eさん「みんな知ってたで」
Iさん「そんなこと言うたら、B君かて○○さんと付きおうてたやん」
B君「いや、あれはやなあ・・・」
と、昔話は尽きる事がありません。
あっという間に2時間が過ぎ、2次会会場に移動です。
新丸ビルの6階から、1階に降りたところで全員集合の記念写真撮影です。
東京駅をバックに、全員集合。
撮影するのはA君。
続いて、A君が入ってB君が撮影。
「あかんなあ、全員集合になれへん。誰かに頼もう」
という事で、道行く人を物色です。
そこへ、ちょうどカメラ撮影用の三脚を持った2人組のオジサンが通りかかりました。
尤も、我々も充分オジサンですが(笑)
交渉成立。一人のオジサンが気持ちよく引き受けて下さいました。
1枚、2枚撮影していただいたところで、
我々は「どうもありがとうございました」。
オジサンは何気に歩き出しました。
すると、同行していたもう一人のオジサンが、カメラを受け取ったA君に、こそっと、
「あの人、有名なカメラマンなんだよ」と囁きました。
“それ、今言う必要あります?有名って誰?”
あっ、これは僕の心の声です。
有名なカメラマンさん、ありがとうございました。
そんなこんなで、みんなで歩いて銀座へ。
あっ、土曜日の昼3時半です。真っ昼間です。
2次会もまた45年前の、巽の話。
いっぱい飲んで、いつしか夜も更けて・・・
いえいえ、終わったのはまだ宵の口、6時過ぎでした。
お疲れ様でした。
とにかく楽しい一日でした。
おわり。
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山縣様
連載してくださりありがとうございました!
またお写真などがあればぜひ掲載してください。
山縣さんが通った喫茶店はどのあたりでしょうか(笑)
この写真ももう20年くらい前のものです。
昔から“縁は異なもの味なもの”なんてことを申しまして、実にご縁というのは不思議なものでございますな。五円たって、真ん中に穴が開いてるのは不思議だなあ、なんてとぼけた話じゃございません。
45年もの昔、高等学校を卒業した横町の山さん、別に隠れて暮らしていたわけではございませんが、卒業した地をすぐに離れてしまった関係で、どなたとも連絡を取ることなく、年だけ取ってしまったという何ともお粗末な野郎でございます。
さて、そんな山さんの元へ、1通の便りが届いたのは、2011年3月、桜が咲くチョイ前の事でしたな。「おい、熊さん、今年の花見はどうすんだい? やっぱり上野かい?」町内の集まりで、気心の知れたお仲間と茶碗酒を酌み交わしながら、与太話にふけっていた頃でした。
「昔の倶楽部の仲間で集まりたい」と、何とも心温まるお誘いの文でした。山さん、喜びましたな。盆と正月と、月光仮面と隠密剣士と少年ジェットが一緒に来たような、えっ、古い? まあ、それほど喜んだってことですよ。
文をくれたのは、山さんの5つほど年下の無骨な男でございました。無骨ではありますが、まめなその男は、なんとみんなのために伝言板を開いたそうで、山さん、またまた喜んで、その伝言板に、ある事ない事書きまくったそうな。えっ、ある事ばっかり?
そりゃ、そうだ。ない事を書いちゃいけません。
ふとある時、山さんのご同期が、その伝言板に気づいたんですな。
「おや、これは同じ21期の山さんじゃないのかい?」
“一瞬にしてひらめいた”、てんだから、このご同期もただ者じゃない。
後はもう一気呵成、伝言板の親爺に連絡する。親爺から、山さんに連絡を取ってもらう。お調子者の山さんは、その日のうちにご同期に連絡を入れる。
トントントンと話は進み、後はもうお輿入れの日取りを決めるだけ・・・
んっ、話がこんがらがってる?
おお、そうだそうだ、婚姻の話じゃねえや、落ち着きなよ。って、あっ、おいらのことですね。
まあ、そんなこんなで、「同期が集まるので、たまには穴倉から出てこい!」という強いお沙汰があったので、行ってきたというわけでさあ。
つづく
お世話役(21期同期会では、幹事ではなく、こう呼んでいるようです)の挨拶に続いて、 順番に始まりました。
2011年、2013年と大阪で同期会が開催されているので、ほとんどの方がすでに顔見知りのようです。おそらく、僕一人が「初めまして」なのかもしれません。尤も、同じ高校の同期生なので、初めてという事はないはずですが。そう、そう、2年生の時に同じクラスだという方が3人もいたわけですから、やはり「初めまして」は、おかしいですね。
さてさて、皆さん順番に近況などのご報告です。
「この歳になって、フルマラソンを完走しました」(凄い!)
「今日は、カミさんが出かけているので、帰って犬の散歩をしなければなりません。なので、申し訳ないのですが、2次会には行けません」(あらっ、それは残念)
「60歳で定年になりましたが、未だに働いています」(うん、まあまあ、僕もそうです)
「隠居生活です。酒はやめています」(何と優雅な!)
「会社は息子に任せて、まあ、なんとなくやってます」(えっ、こちらは社長?)
「いまだに独身です」(それは、それは)
色々な人生があります。
お世話役が、僕に1枚のDVDを手渡してくれました。 昨年10月に行われた同期会の模様を収録したDVDでした。もちろん、家に帰ってすぐ見ました。
「うん、うん、こいつは知ってる。えっ、老けたなあ、こいつ」など、懐かしい顔を見つける事も出来ました。 しかし、残念な事に、90%の方は分かりませんでした。 何とも情けない。
続く
そうなんです、大阪からの参加者もあり、更に全員年寄りのせいなのか、同期会の始まりは13時30分でした(笑)
人混みが嫌いな僕は、改装なった東京駅を見に行った事もなければ、新丸ビルなど初めてです。(因みに、六本木ヒルズ・表参道ヒルズ・東京ミッドタウン・東京スカイツリー・ディズニーシー・コレドなんとか・・などなど、どこにも行った事がありません)
そんなわけで、東京駅丸の内出口の正面にある新丸ビルにどうやって行けば良いのか分からず、地下通路をウロウロ、結局、地上へ出たのですが、今度は入口がよく分からない。そんなこんなで、会場へは3分ほど遅れてしまいました。
14、5名ほど入る事が出来る個室にはすでに12名の同期生がいました。静かに入っていくと、全員「誰だ!こいつ?」という目で見つめています。
「遅れてすみません。山縣です」というと、「えっ、分からなかった」との声。そりゃそうですよね、45年間も顔を見ていないですから。卒業当時の僕は、せいぜい52キロほど。今は72キロですから。小学生一人分増えた僕をすぐ分かるはずもないですよね。
しかし、優しく席を教えて下さり、首に下げる名札を頂きました。そうそう、会費もすぐに徴収です(笑)
幸い、もう一人少し遅れている仲間が居るという事で、乾杯はまだでした。
遅れていた人も、間もなく到着し、とりあえず生ビール(飲めない3名はソフトドリンク)で乾杯です。
続く・・・
17日の土曜日、21期生関東同期会に参加してきました。
フォークの仲間は、よくご存知のように、僕は高校を卒業してすぐこっちに来てしまったので、入江・大石・山本以外の同期生どころか同窓生にも会った事がなく、今回が初めての“同窓会”でした。
場所は、東京駅の真ん前、新丸ビル内のレストランでした。
参加人数は13名。そのうち4名は大阪からわざわざ参加してくれました。
男子9名、女子4名の参加だったのですが、女子4名の内3名が2年生の時、僕と同じクラスだったそうです。
卒業して45年、同期生にもいろいろあったようです。全員63、4歳のおっさん・おばはんの集まりなので、病気の話、子供の話・孫の話・そうそうバツイチの話など、時間を忘れて楽しいひと時を過ごさせていただきました。中には、同期生でありながら姉妹という方が居て驚きました。
先ほど書いた、2年生の時僕と同じクラスだったという2人の方ですが、A子さんが、B子さんのお兄さまと結婚されたとかで、卒業後、同期生にも拘らず姉妹になったという、何とも強烈な話でした(笑)
二次会は銀座に移動して、またお酒です。
「なぜ、フォークソングクラブのブログにこの話を?」
と、不審に思われた方もいるでしょうが、長くなりそうなので、その話はまた明日にでも。
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山縣様
早速のご報告、ありがとうございました!
うわぁ~なんだか楽しそうですね~~。
続編が楽しみです!
このころはずっと「今月の歌」の楽譜を申し込んでいたのですが、なぜか8月の歌は申し込みませんでした。
ちなみに8月の歌は「夕陽のアンジェロ」という曲です。
なぜかこのレコードが私の手元にあります(笑)
このころは、カウボーイハットというかテンガロンハットというか、ジャケットにあるような帽子が流行っていました。
流行りと言えば「絞り染めのTシャツ」も流行っていましたなぁ~。
さて、そんなわけでどんなわけで9月の「今月の歌」はファニー・カムパニーの「朝の光が輝く時」です。
のちに「いちご白書をもう一度」をヒットさせた「ばんばひろふみ」さんの作曲ですね。
ファニー・カムパニーというバンド名ですが、これはのちに桑名正博さんのロックバンドの名前になりましたね。
最初はフォークグループの名前だったのですが、どうやらそのその当時のメンバーが桑名さんと合流してロックバンドを始めたときに同じ名前を使ったようですが…
よく知りません(笑)
でもロックバンドのほうはファニー・カンパニーでしたかね……
よく知りません(笑)
女性コーラスがきれいだった記憶があります。
音楽の授業なのでしょう。
そう、あの音楽室とその周囲の教室が、放課後のギター部の練習場所でした。
最初は全体で発声練習などをして、そのあとは各教室に分かれてバンドの練習です。
私はそれぞれの教室をまわって、奏法のアドバイスをしたり、歌唱指導などをしました。
どの秋の文化祭だったか忘れましたが、「ギター部」と銘打っている以上、インストルメンタルも演奏させたほうが学校にもアピールできると思って、ほぼ全部員が舞台に出て「クラシックギター」よろしくバラードを1曲演奏した記憶があります。
ん?
文化祭?
そうそう私の手元にこんなカセットテープがあったのです。
【1977年9月24日四天王寺学園文化祭「涙と青春」】とメモが貼りついています。
これはコンサートの実況録音ですね!!
なんと37年前の音です。このとき女子高校生だった部員たちも…いい…「大人」になっているはずです(笑)
立場上「おばあちゃん」になっている人もいるでしょうし…、最近のことですから「おじいちゃん」になっている人も……それはないか(笑)
でも、「涙と青春」…いかにも女子高校生らしいタイトルでいいですネ!(笑)
そして少し下を見ると、
きゃんどる♥らいと
アップル・パイ
これも女の子らしいバンド名です。
裏面には藍というバンド名も書いてありました。
おそるおそるカセットデッキに入れて再生してみましたら、ちゃんと再生できるではありませんか!
少し定位が崩れていましたが、かなりクリアな音です!
皆さん可愛らしい声で一所懸命に歌っています。
ギターも「ところどころ」ウマイ!(笑)
それにビックリするほどギターが鳴っています。
シャラ~~~ン~~~
当時、Cat's eyeのギターがはやっていたのも頷けます。
(下記、「♪ある曲のイントロから」をクリックしてくださると音声を聴けます。クリックするとQuickTimeへのリンクを要求されるかも知れません。リンクが不要な場合は【いいえ】をクリックしてください。それで大丈夫です!)
♪ある曲のイントロから
年代からすると私はコーチとして赴いていたはずなのですが、どうしてこんなカセットテープが私の手元にあったのでしょう? わかりません…。
出演者の皆さんは持っていらっしゃるのでしょうかね……
もし、先述したバンドのかたで希望なさるかたがいらっしゃればCDにして差し上げます。
ご連絡ください。
「涙と青春」かぁ……
今となってはこのタイトルも感慨深いものがあります。
(おわり)
いろいろな高校がこのサークルに参加してくれましたが、その中で印象深い高校が「四天王寺学園(高校)」です。
女子高ですし、今もそうなのかも知れませんが、当時は男女交際が厳しく禁じられていました。
それでもときどき、私と同級だった四天王寺高校ギター部の部長(もちろん女子)とは天王寺公園などでお会いして、マリリン・パクパク・コンサートについての打ち合わせをしました(笑)
わわわ…もちろん、もちろん、その部長といわゆる「男女交際」をしていたわけではありません!
四天王寺高校様、ご安心ください!
あえて言うなら「部長交際」です(笑)
あくまで「仕事」として打ち合わせをしていました。神かけて…いや、慈母観音にかけて本当です!
その後のこと、確か、あのときのギター部の部長の紹介だったと思うのですが、私が勝山高校を卒業して大学に進学してから、私はその「四天王寺高校ギター部」のコーチに招かれたのです。弱冠19歳のころです(笑)
当時の四天王寺高校ギター部の顧問は男性教諭でした。(失礼なことにお名前を失念しました)
なんと言っても女子高に男性コーチ、それも顔やスタイルが悪いとは言え、「19歳の男」が定期的に女子高に伺うのですから、当然学校側も慎重にならざるを得ないことでしょう。これは現在もそうだろうと思います。
私は顧問の先生からお電話を頂戴して「面接」に赴きました。
面接の場は四天王寺近くの、ビルの二階にある喫茶店だったと思います。
いや、ひょっとしたら、今も四天王寺学園の正門に向かって右側にある二階建ての建物だったかも知れません。
幸い、何回かの面接でOKを頂戴した私は「ギター部」のコーチとして、確か毎週土曜日の放課後に指導に行くことになりました。もちろんコーチ料(いくらだったか忘れました)も頂戴して伺うのです。責任があります(笑)
19歳から指導を始めて、四天王寺高校ギター部には通算4年間ほど伺いました。
その間、歴代の部員の皆さんから「コーチ~、コーチ~」と慕っていただいた記憶があります。
あの頃は私も若輩で皆さんに対しての感謝の気持ちが足りなかったかも知れません。
お許しくださいね <m(__)m>
また指導に関しても自分としては精いっぱいやったつもりですが、間違いや、頑ななところもあったことだと思います。併せてお詫び申し上げます。
ただ…
私の手元にかすかな、その当時の「思い出」が残っておりました(笑)
それについては次回の講釈にて……